安岡正篤と結婚の約束を

細木数子は銀座のクラブのママであった1983年に、政財界にも力を持つ事で知られる陽明学者の安岡正篤と知り合い、結婚の約束を取り交わす。安岡正篤の親族が反対する中で、安岡正篤と交わした結婚誓約書をもとに単独で婚姻届を提出し、受理されたが、当時、安岡正篤は85歳と高齢であり、入院先の病院での検査では認知症の症状があったとも言われ(細木数子は「痴呆症のふりをしている」と反論した)、安岡正篤の親族が「婚姻の無効」の調停申し立てを行った翌月、安岡正篤は他界した。調停により、婚姻は無効であるとした和解が成立し、初七日には籍を抜くこととなった。

また細木数子が相談者に先祖供養として勧めていたお墓の購入に関して、1993年には「人の不幸、不安につけこんで不当に高額な墓を買わされた」と損害賠償を求める訴訟が起こった1990年代は細木数子はテレビに出るなどの表立った活動を自粛あるいは避けていたが、それは細木数子本人が大殺界の時期だったからとしている。

その後、2003年頃から、細木数子が人生相談を行う特別番組が20%前後の高視聴率を挙げるようになったことから、各局で多くのレギュラー番組を持つようになり、「視聴率の女王」と呼ばれるようになった。そして野村沙知代・デヴィ・スカルノらに代わって、熟女タレントの代表的存在とされるようになった。

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